朝日新聞の「折々の言葉」という朝刊のコラムで「オーケストラ奏者はキョロキョロしてなきゃいけない」という一文が紹介されました(2019年3月30日)。
「ステージの前方と奥、端と端は、お互いの音ががほとんど聴こえないと、オーボエ奏者はいう。譜面に目を凝らすのではなく、指揮者の棒に目をうばわれるのでもなくて、離れた仲間の姿に視線を泳がす。音はじかに聴こえなくても目を遺り、目くばせしあう。その意味で、デモクラティックな社会の雛形でもある。精神科医・和田信との対話(「文明の哲学」第10号)から」
あるプロ・オーケストラのオーボエ奏者との対話です。「デモクラティックな社会の雛形でもある」というところは賛同できるものの、「離れた仲間の姿に視線を泳がす。音はじかに聴こえなくても目を遺り、目くばせしあう」というのはオーケストラのあり方の理想の一つだとは思いますが、それがすべてではないのではないでしょうか?
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私が直接プロジェクトに深く携わり体験したことが、中野民夫著の「ワークショップ」(岩波新書)の最終章の結びで「交響する瞬間」というタイトルで紹介されています。ミシェル・コルボを指揮者に迎えたJAO東京オーケストラの演奏会でのことです。
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「その特別な時は訪れた。演奏がピークを迎えたとき、100人近いオーケストラと
200人近い コーラス のどこにいる人でも、他のすべてのパートの音が完璧に聞こえる、
と感じられるときがしばしばあったというのだ。完璧なハーモニーの一部になりきるような体験で、なんともいえない至福の瞬間。
普段は音の小さい楽器や遠くの人の演奏はなかなか聞こえないのに、その時はすべての音が聞こえていとると感じられたというのだ。
それはもう特別な恍惚の時
至福の演奏を収録したライヴCD。
残念ながら市販はされていませんが、その一部をお聞きください。
であり覚醒の時だった。
メンデルスゾーン:⑴最初のワルプルギスの夜〜序曲 ⑵キリスト〜ヤコブからひとつの星が上がり・暁の星の美しいこと
お互いが自分でありかつ全体である瞬間。個と全体の調和。お互いに他を良く聞くこと完成する完璧なハーモニー。私には想像するしかない世界だが、演奏する人々にもそれだけ特別の時なら、自ずと聴衆にとっても至高の感動体験になったに違いない。」
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オーケストラにはいろいろなアンサンブルの方法があります。しかし「お互いが自分であり、全体である瞬間」はそうそう訪れるものではないですし、この瞬間こそ音楽をする喜び、生きる喜びそのものだと実感したのです。
私自身のこの至高の体験こそががデア・リング東京オーケストラの原点であり原動力になっているのです。
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公演は1998年2月15日 、サントリーホール。
この年の「音楽の友誌」の年間公演ベスト10の一つに選ばれました。
リハーサル風景
Der Ring Tokyo Orchestra
090-2213-9158
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