デア・リング東京オーケストラは至福のバイロイト・サウンドに触発されて、2014年5月にスタートしました。
当面は録音中心で行くことにしたのは。ある時期から公開での演奏活動やめてレコーディングに専念したグールドにならってのことです。
最初に取り組んだのは何とブルックナーの交響曲第3番です。
モーツァルトでなければベートーヴェンでもない、シューベルトやブラームス、あるいはメンデルスゾーンやチャイコフスキーでもなければショスタコービチでもマーラーでもない。プロ、アマチュアを問わず、ブルックナーのしかも3番からスタートしたオーケストラは、世界広しとはいえどもまずないでしょう。
では、なぜブルックナーの3番から始めたのか?
その答えはいたって単純、私の大好きな交響曲のひとつだからです。
3番には「ワーグナー」(ワグネル)の愛称があります。
世の中になかなか認められなかったブルックナーが、最も敬愛したのがワーグナーでした。ブルックナーは1873年にバイロイトにワーグナーを訪問して、交響曲第3番の初稿のスコアの献呈を申し出ます。ワーグナーは交響曲第3番の価値を認め、献呈を受諾してくれました。ブルックナーは大感激、ワーグナーに深く感謝し、自ら「ワーグナー交響曲」と命名したのです。バイロイト・サウンドに触発されてスタートしたデア・リング東京オーケストラの船出にはまさにうってつけの交響曲なのです。
私とブルックナーとの出会いは、大学時代に4番「ロマンティック」をチェロの一員として演奏したのが最初です。霧もやのような弦楽器のきざみに中から、ホルンが壮大な物語の開始を告げます。
タータータタタ、あるいはタタタータッタというブルックナー特有のリズムの繰り返し、時折美しいメロディーがハーモニーと一体となり、オーケストラにしか表現できない深い響きの中に包まれます。いっぺんにブルックナーの虜になりました。
その後、ブルックナーを色々聴くうちに、チェロから始まる7番にも大いなる魅力を感じましたが、なぜか3番に一番惹かれました。
第3稿改訂版(1890年)で演奏した訳
第3番はなかなか世の中に認めず、改訂に改訂を重ねた結果大きくは3つの稿と、それぞれに複数の版が存在するので、ものすごくややこしいです。
表を作りましたので参照していただくと分かりやすいと思います。
演奏するにあたっては第1稿(初稿)、第2稿も含めできる限り多くの版にあたり、その上で第3稿ノヴァーク版することにしていました。第3稿の2つの版であるノヴァーク版
と(レティヒ)改訂版(1890年)の2つの版には、聴覚上はほとんど違いはありません。
第3稿ノヴァーク版は第3稿校訂版(1890年)の版下が元になっていて、改訂版はレティヒが出版する段になって、おそらくブルックナー自身が第2稿(レティヒ初版)に戻しているところがあるんです。
第3稿ノヴァーク版は、第1楽章の第1主題へ戻るブリッジ(423小節〜430小節)のところで、和音を延ばしているだけだけど、(レティヒ)改訂版(1890年)の方が私にはしっくりきます。
改訂版と呼ばれているのは、ブルックナーの生前に出版した版元はレティヒだけで、初出版が第2稿(1879年)で、その11年後に出版した第3稿を改訂版(1890年)と呼んだのだと思うので、「レティヒ改訂版(1890年)」と呼ぶのが私は正しいのではと思います。
第2稿(1879年)は、当初ヨハン・ヘルベック指揮ウィーン・フィルで初演される予定でしたが、ヘルベックが急逝したため、ブルックナー自らウィーン・フィルを指揮して演奏しました。しかしブルックナーが指揮に不慣れだったこともありせっかくの初演は大不評で散々でした。それにもかかわらずレティヒはその真価を認めて第2稿を出版しました。えらい!
そして、さらに改良した第3稿のレティヒ改訂版(1890年)を、リヒター指揮ウィーン・フィルが演奏してようやく3番は世の中に認められたのです。
第3稿は弟子のシャルクの提言もあり、特に4楽章を短縮しすぎとの批判もありますが、4楽章の307小節からクライマックにかけては第3稿にしかなく、ワーグナー的で私はとても気にいっていますし、ブルックナーの生前の出版ですので、ブルックナーが承認しなければレティヒ改訂版(1890年)は出版できなかったはずです。
以上の理由で第3稿のレティヒ改訂版(1890年)で演奏することにしたわけです。初稿から実に17年も経っているので、第3稿はもはや後期交響曲のひとつという見方さえありますが、凝縮・洗練された一大傑作だと思います。
第3稿のノヴァーク版が出版されたのは1959年ですから、それ以前の演奏はクナーパッツブッシュなどレティヒ改訂版(1890年)しかありませんが、この版での録音は、調べてみると1993年録音の朝比奈&大阪フィル以来実に20年ぶりのようです。
ブルックナー|交響曲第3番の稿と版の関係一覧(出版年)
第1稿 1873年①-1 ハース版(ワーグナーへの献呈譜が元。戦時の混乱のため未出版) ■1874年 ヘルベック指揮ウィーン・フィルで試演されるも公演不採用に。 一部改訂して①-3へ。 1873年①-2 ノヴァーク版III/1(1977/1993年) 1874年①-3 キャラガン版(未出版) ■1874年 ウィーン・フィルで再度試演されるもまともや公演不採用に。 1876年①-4 ノヴァーク版 zuIII/1(1980年2楽章のみ出版) 第2稿 1877年②-1 レティヒ初版 (1879年) ☆生前最初の出版 ■1877年 初演。指揮者ヘルベックの急死によりブルックナー自らウィーン・ フィルを指揮するも不評だったが、レティヒは第2稿の真価を認め初出版。 1878年②-2 ノヴァーク版 III/2(1981年) 1879年②-3 エーザー版 (1955年) 第3稿 1889年③-1 ノヴァーク版III/3(1959年) 第3稿 1890年③-2 レティヒ改訂版 (1890年) ☆生前2番目の出版 (4楽章の一部を2稿に戻す) ■レティヒ改訂版 (1890年)による悲願の上演は大成功=リヒター指揮ウィー ン・フィル 1889年③-1 ノヴァーク版III/3(1959年) レティヒ改訂版 (1890年)の版下が元 Ⓒ2014 Y.Nishiwaki |
デア・リング東京オーケストラのメンバーは、東京芸大、桐朋音大、東京音大などを卒業した若い人たちが中心です。
至福のバイロイト・サウンドを、特殊な構造を持つオーケストラ・ピットを使わず、コンサートホールで出せないかという壮大な試みです。
ブルックナーはまさに空間力を問われます。これを象徴的に視覚化するために、全員が前向きに座り、第1ヴァイオリンが右翼、第2ヴァイオリンは左翼に配置、ヴィオラとチェロは一列に配置しました。バイロイトのオケピットに準じたものです。
弦は先着順に好きな席に座り、トップはいません。既存のプロのオーケストラでは暴動が起きること請け合いです。
従ってメンバーになる人には、事前に説明はしましたが、でもあまりにも彼らが通常参加しているオーケストラは違うので少なからず驚いたと思います。
無事録音がすみ、CDとSACDもできました。
猛烈に批判されることはもとより覚悟の上
ですが、意外と好意的に聴いてくださった
響きが良く、内装も美しい所沢ミューズアークホール 方も多かったと思います。
録音は響きがよいだけでなく美しい装飾でも世界に誇ることができる所沢ミューズ アークホールです。
録音の様子については、CDの解説に詳しいので是非ご覧いただきたいと思いますが、
その中からご紹介します。
CDへの評価(感想)
なんとも美しい天国的なひびき!
レコード芸術の宇野功芳氏批評(抜粋)
「CDのブックレット内の写真を見て、おどろかない人は皆無だろう。酉脇義訓はもう40年も前からオーケストラのひびきというものに異常なまでに執着し、リハーサル前のウォーミングアップから舞台上の配置、音の出し方にいたるまであらゆる方法を試して来た。目指すところは、オーケストラからいかに柔らかい、美しいハーモニーやひびきを創遺し、それをホールのすみずみにまで届けさせるかにある。
メンバーは芸大、桐朋などを優秀な成績で卒業した若手ばかり、ボウイングは自由、指揮者はほとんど棒を振らず、方向性を示すだけ。ぼくは録音を見学したが、なんとも美しい天国的なひびきだった。」(レコード芸術評より=推薦)
金子建志氏は準推薦でその一部を引用させていただきます。
「最も鬼門だと予想していた第4楽章が、空中庭園の室内楽のイメージでクリアされているのにも驚いた。無重力の空間に浮かぶ、ちょっと不思議 なブルックナーを聴けた、というのが感想である。」(レコード芸術評より=準推薦)
このCDを評して、ある方がブログで、
「このオーケストラ配列から聴こえてくる音源はデジタル的な乾いた音ではなく、どこか懐かしい響きで、樹木が密生している樹叢のような香しい音に聴こえた。」と言ってくださいました。
また、ある方からいただいた感想です。
「冒頭から全てが違うのです。最初の1秒からCDを聴いているとは思えなくなります。3次元すら超えているような空間の深さに、ただただ動けなくなるばかりになります。
今まで、インバルやヴァント、はたまたスクロヴァチェフスキーやマタチッチを超えるブルックナー(の録音)は無いと信じていた中で、今まで聞いたブルックナー像を全て壊されたという点で、恐ろしく、また気持ちのいい経験です」
Der Ring Tokyo Orchestra
090-2213-9158
finenf@n-and-f.com